常に変化するので正解って形もないんですけどね
調べたら違ったわ……
答えなどなく、ただ衝動に身を任せるのみ
本日のテーマは「やる気の出し方」というものなんですけど
自力で出せるならそりゃもう苦労はしてないもの世界第一位ですね。
よーしやるぞ! と意気込んだ数十秒後には違うことやり始めますもんね。
大体みんなそういうものでしょ?
となると、まず第一に「出そうとしても出ない」のだから
やる気を出そういうこと事態が間違ったアプローチであることになる。
砂漠に井戸を掘る人がいるだろうか?
地下水脈があるのが分かってなければ掘らないよね。
読者にもし井戸掘りの専門化がいたとしても、私は砂漠に行ったこともなければ、地質調査もしたことないのでここは出ないものとして扱って欲しい。
はい、次。
でないものとするのであれば、「やる気というもの自体は存在しない」
という考え方も出来るのではなかろうか?
出そうと思っても出ない
この過程を基にやる気が見受けられるケースについて考えていこう。
そもそも「やる気」というものが観測されるケースとはどんなときだろうか?
まあやる気なんていう名前がついてるのだから
・何かを始めようとしたとき
がほとんどでしょう。
他になんかあったとしてもとりあえずこの9割9部くらいのケースから考えていこう。
何かを始めようとしたとき、にやる気が掛かっているのだとしたら
やる気が先か行動が先か……
行動を起こしたときにはすでにやる気が発生しているわけであり
ここで提唱するのは
「起こした行動に基づいて、やる気という現象が名づけられている」説である。
驚きの結果論である。
めでたしめでたし、とはいかない。
やる気が結果論だとすると失敗した結果は全てやる気がなかったとなってしまう。
それは違うだろう。
行動にかかっていて結果にかかっていない
となるとやる気の所在は行動原理、「衝動」にあるのではなかろうか?
ここまで書いてきてどうあがいても面白くできそうにないのが非常に苦しくなってきたが、私はなんとかやり遂げたいと思う。
そもそもやる気なんてものに囚われてしまうから目的を見失うのだ。
かつて私は高校生だったが、まったく最初から勉強などをする気などなく
卒業したらそこらへんで適当に就職すると決め込んでいた。
転機が訪れたのは高校3年生の秋くらい、突如として「あ、働きたくもない」と思いモラトリアムを延長すべく大学受験を試みた。
しかし時すでに遅し、教科書は1年生のときから新品のままであり
数学の授業では睡眠学習しかしたことがなかった。
当然成績も学年の下位2%に位置するただの制服を着たゴミである。
しかし幸いなことに進学率が死ぬほど低く1クラスから大学受験を選択する生徒は1,2人しかいないという状況下にあったので、私は無謀にも「大学に行きたいので推薦してくれ」と申し出たのである。
奇しくも大学進学志望者が推薦枠未満だったため、労せずして推薦枠をGETし
担任の言うまま「言った範囲だけ勉強して、そこが試験に出ることを祈れ」という最高に分かりやすいイージーな勉強を開始した。
私の記憶では勉強を開始したとなっているのだが、勉強した内容についての記憶は残っておらず、勉強をした気分になっているだけなのかどうかが証明できないためこのあたりはフワっとさせていただく。
そんなわけで試験前日である。
私は京都の大学を受験するために京都市内へ訪れていた。
目的は「宿探し」である。
察しのいい読者諸君には説明の必要もないだろうが
世の中では、大学受験の前日には全国から人間が集まるので宿泊先がなくなるという現象が起きるらしい。
そんな経験を始めて目の当たりにした私は12時間ほど京都市内を歩き回り(電話帳で調べて問い合わせるという脳みそすらない)
「もしかして、失敗したのでは……?」というムードが漂い始めたころ
ある駅から出た瞬間「あ、ちょっとぉお時間いいですかぁ~?」と軽妙な声の女性に捕まったのだった。
姿を見るに彼女は某ネットサービスの回線契約アルバイトであり、足を止めた私に対して矢継ぎ早にインターネットの説明を開始しようとしたが、自然と彼女の言葉を遮った「そんなことより俺を助けてくれ」という声から状況は一転、絶望的に頭の悪い受験生の宿探しを手伝う羽目になった可哀相な人である。
状況を説明すると絶句した彼女は、同じくアルバイトの青年(見えなかったが、そこらへんに立ってた)を呼び出し相談を始めた。
幸せなことに私はこのアルバイトが救世主になると信じて止まなかった。
カウンター気味に掴んだ藁は既に枯れているのにも、だ。
応援に駆けつけてくれた青年の「無理でしょ普通に考えて」の言葉にも、その次があると信じていた
「普通ならね」と解決策が出てくるものだと思っていたが、青年はそれ以上言葉を紡ぐことはなかった。
再び絶望へと足を踏み出した私であったが、1分ほどだろうか、歩いた私を追いかけてくる足音に気づいた。
それは紛れもなく先ほどのお姉さんであり、私の起死回生の一手を生み出してくれた天使であった。
「あの、この先にラブホテルがあるから、そこなら一人で泊まれるよ」
時は受験戦争時代、手コキの里の抜き忍が始めて不夜城へ単独潜入する決死の作戦であった。
脱線したので戻しましょう。
つまり衝動こそがやる気であり、やる気というものは「やりたいことに対して探求していく姿勢」そのものであるということである。
出ないものは出ない。人生初のラブホテルが受験前日で、一人で泊まることになるなんて誰も想像できなかった悲しい物語である。
麻倉さんもいいこというんだよね
テーマをくれといったらテーマが貰える。なんて世界はやさしさに満ち溢れているのだろうか。
こんばんは、本日のテーマは「他力本願」です。
へぇー、よく言うけど仏教用語なんですね。
阿弥陀仏の本願に頼って、って本願って何? そこからさらに菩薩って何? とか調べ始めるとループ始まるのでWikipediaはたまんないですね。
今は基本的に人任せの意味で使いますね。
書いて字のごとく人に任せるってなんとまあすばらしい事でしょうか。
僕、他力本願大好き。
遊びに行く計画も友達に立ててもらうし、勉強は人に教えてもらうし、バイクの修理はバイク屋に持っていくし、目覚まし時計で起きるし。
自分にできないことを人にしてもらうのってなんと楽なんだろうね。
だってほらみんな大好きワンピースのルフィだって
「俺は海図が読めねぇし、刀も使えねぇ、嘘もつけねぇ。だから仲間がいる」
って主張したじゃないですか。
自分にできないことを人に任せる。
当たり前で、恵まれていることだと思いませんか?
自分の周りには自分を支えてくれる人がいるって証明です。
だから自分ができることなら人にすることができるし持ちつ持たれつなわけですね。
え? 任せたことをやってくれなかったらって?
そりゃ出来なかったんだから仕方ないよ。
任せるのは勝手だけど、やってくれるかは知らないよ。
やってもらえない事を頼むのはお門違いだし、それで他人を責めちゃお門違いの責任逃れってやつですよ。
私の思う対人関係でストレスをためないコツ
— そうし《大阪》セラピッピ (@SPAwhite_soshi) January 3, 2019
人に期待しないことです。
というとなんだか冷たい人間に聞こえますが
人の失敗を許容する余裕を持って最初から接するという感じです。
遅刻でも、忘れ物でも、ドタキャンでも、嘘だったとしても
「そういう事もあるよね」と思って能天気に生きてます。
助けてもらうと、責任を与えるってのはまったくの別問題。
そこは履き違えないようにしないと友達なくしちゃうゾ☆
だから出来ないことは人に助けてもらって、自分が出来ることを無理なくやる。
無理なんかしなくていいんですよね多分。
無理しないから無理じゃない。
可能性の塊ですよこの言葉は。
人に助けてもらって、自分が無理をしないから、自分が出来ることは無理でもなんでもなく、人に助けを与えることが出来るかもしれない。
僕が菩薩になったら、無理せず諦める宿願のもと、無諦観理仏とか立てて最終的に
是世無諦観理如来とかになってワンダフルなフューチャーをウォーキングオブザデッドにしていきたいと思います。
多分、日光も浴びてないからだと思う。
テーマ「何でそんなに肌が綺麗なのか、腰のくびれが素敵なのか」
といういい感じのテーマを早速いただいたのでとりあえず書いていきましょう。
30代半ばにさしかかろうという世間的に見ればおっさんなのですが、幸いなことに実年齢よりは若く見られることが多い見た目をしています。
幸いというのは、若く見えることでいいことがあったわけではなく、損することがなかっただけなのですが、損してなければラッキーということにしておきます。
実際綺麗かと言われれば別に比べたこともないので綺麗とは思ってないし、ていうかここ数年は顔にシミっぽいものができてきているので割と戦々恐々としているのですが、今のところはまあ肌質で問題があるわけではないので良しとします。
結構オイリー肌なので油を抑える機能のある化粧水とかを探そうかなと思っているのですが、思っているだけです。誰かいいやつあったら教えてください。
腰のくびれに関してはもう素敵とは思っていられない感じに緩んできました。
昔から痩せ型だったので余裕をこいていたツケが30歳になってから現れました。
「何食べても太らないんだよね~」って言っている20代の諸君、30代からはマジでくるので日ごろから運動をして筋肉量をキープしていて欲しい。
あとおなか周りを鍛える運動で気軽にできるおススメがあれば教えて欲しい。
僕は筋トレが何よりも苦手なのだ。
結論から言えば、「肌綺麗だね」と言われたときに僕は
「苦労して生きてきてないので」
と答えています。
そっくりそのまま苦労というものをした記憶があまりないからである。
勉強は嫌いだし、運動もできないし、学生時代はどうやって宿題をやらずに見逃してもらうか、部活をサボるかを考える日々
毎日明け方までゲームしてPCして家族とすら食事もしない、周りから見ればまさに引きこもりであったろうが、精神的には自由以外の何者でもなく、学校が終われば両手を広げて喜んでいたものだ。
学生が終わってからもフリーターとして世に出て
プライベートの時間をいかに有意義に作れるかを優先して職場を選んでいた。
嫌になったら辞めるし、仕事なんていくらでもあるのだ。
とはいえ学生時分に勉強をしていない人間に、見栄えのいい学歴や資格があるわけでもないのだが、仕事や学歴にこだわらなければそれなりに食える仕事もいくらでもある。
週休完全2日、これさえあれば別に業種も選ばないし、労働時間も気にしたことはない。
自分ができること、自分の持っているカードでいい手を作れる場所を見つければいいだけなのだ。
現に酷いときには週に70時間くらい働くこともあるが、約束された休日には何事も変えがたい。
つまりところ僕は、現実と、理想との折り合いをつけるのが上手なのだろう。
我ながら素敵な対応力だと思いながら生きている。
そんな気楽さが老化を防いでいるのだと思う。
苦労と老化の関係性の論文についてはいつか私が学会に発表して国民栄誉賞を頂くつもりなので、今すぐ国からよくわからない援助金が振り込まれることを祈ってこれを記す。
なんとなく、とりあえず、気が向いたので
人生でもう何度目となろうかのブログを開始しました。
いーや、過去やっていたテキストサイトやらゲームブログやらSNSやらなんだかんだと何度もブログというものをやってみては放置し、始めてみては放置し、作ってみては放置し……とまるでギターを買ったばかりの少年(例によってFで挫折する)みたいに手を出してみるものの……というやつですね。
しかし今までとは違って、これは半分匿名ではないので発信することについての責任やら、気恥ずかしさやらがかつてないわけで、ひねくれものの性分としては「見てるよ」とか「応援してるよ」という類の言葉をかけられるとミョーに恥ずかしくなって更新しなくなってしまうのです。
だからといってやってみようということに蓋をするのはまた別で、とりあえずは意味もなく作ってみるところからね、こういうのは形から入るものだし。
別になんだっていいんですよ、理由とか、目的とかなくても
現に書くことないのにこうやってだらだらとくっちゃべっているわけですからね。
深夜4時の突発行動って困りますよね。でもこの深夜テンションに生かされて人間としては、夜中の突拍子のない思いつきに身を任せてみるのも悪くないかなとか思ってるんですよ。
物事を始めるのに準備時間はかけるだけ無駄
そういうアレですね。なのでハードルとなるものはできる限り低くしていきますよ。
第一にこのブログはフィクションということにしよう。そうしよう。
そうしておけばなんか語弊があったときとか変なことを言ってしまったときに
「あ、ごめん、そういうつもりじゃないから」ってとりあえず謝って終われる感じにしておきたい。
だってこのブログに生活や人生をかけているわけじゃないんだから、気軽にしたいじゃないの。更新することに重大な責任とかが発生するのはしんどいし、みたいな。
かぎりなくユルーくいきます。
第二は文章構成も推敲もしない。
気がついた誤字だけ直して、こまかい言い回しとか、いい間違いとかそういうのを調べながら文章を作成すると無駄に時間がかかるので半分放置でいきます。
あぁいいね、QOLがあがってきたよ。
クオリティオブライフっていって、なんか心地よく生きるためのアレですよ。
知らんけど。
第三は特にテーマとかはない。
セラピッピなのでそれっぽいことをいうとかナシです。
僕の人間性の何割かを出せる場として作ってみたので
時には荒々しかったり、時にはキモかったり、時には不謹慎だったり、時には嘆いてみたり……
いろいろ書き連ねるけど別にそれが全てじゃないよ。
気に障っても勘弁してね。みたいな。
だからツイッターでおもむろにテーマを募集して、それについて書き始めたけど最初の数行で脱線してわけのわかんない話になるとかそういうこともよくあると思うけど楽しんでいってね。
形なんてのは後から出来上がってくると信じて不定期連載していくよ。
たまには長文もいいね。よろしくね。