そうだ、そうしよう

そうしの草紙

不確かな世界で生きる人たちへ

この世に真実が存在するとすれば、それはあなたの前だけに存在する。

 

たとえば友達からりんごを一つもらったとしよう。

 

それはあなたにとっては友達からもらったりんごに過ぎないが、そのりんごはあなたの手にたどり着くまでに壮大な冒険をしたのだ。

 

彼(りんご)は農園で収穫されるも、商品として出荷される前に、たまたま農園の近くを歩いていた少年に手渡されることとなった。これはただの農園のオーナーの気まぐれであり、他意はない。あるとすればおそらく農園のオーナーが明日に43歳の誕生日を最近できた恋人と楽しく過ごせることに胸をときめかせ、その幸せをどうしても他者に譲りたくなったという幸せのおすそ分けに過ぎない。

 

りんごを手に入れた少年は、たまたま近所を通りがかっただけなのだが、オーナーが幸せそうにりんごを運ぶ姿を見て、いなくなってしまった父親の姿に重ね合わせ、その足を止めただけである。同時にりんごが好きな妹のことを考え、ポケットに入っている小銭でりんごを一つ買えないかとよぎっただけなのである。しかしその一瞬の瞳の色に気づいたオーナーからりんごを譲り受けることになる。

 

幼き少女は、普段自分を厄介者扱いする兄から突然好物のりんごを手渡された。それは意外性に満ち溢れていて、疑心暗鬼であって家族愛というものについて考えを改めることにもなった。得体の知れないうれしさに足取りは軽くなり大事に食べようと思うのだが、近所に住む親切なホームレスのことを思い出す。町の人に嫌われるホームレスと、兄から厄介者扱いされていた自分を重ね合わせ一方的な親近感を覚えていたのだ。

 

ホームレスはこの町に住んでもう10年にもなる。移ろいゆく人生の中でこれだけ長く定住した場所は初めてだった。たまたま住み着いた場所で、数々の家族のドラマを眺めてきた。観客でしかなかったホームレスだが突如として小さな少女に声をかけられ舞台へあがることになる。りんごを手にした少女に声をかけられ一緒にりんごを食べようと持ちかけられたのだ。

 

その日不良の男は腹を立てていた。何を隠そうかねてから計画していた不良デビューを果たしたのだが、即座に目をつけられ一方的に叩きのめされてしまう。華々しい不良のスタートは泥にまみれ、一人腐りながら歩いていたところに少女とホームレスを発見する。少女がホームレスに施そうとしていたりんごを奪い取り、ささやかながらも悪事の花を咲かせるのだが、意外なことにホームレスの気迫に押され、りんごを手にすごすごと立ち去ることになる。

 

美容室を営む妙齢の女性は、昨日髪を染めた客が店の前を通りかかるのを見た。客は昔からの常連であった。店から声をかけその見た目の評判はどうかと尋ねる。おかげさまで好評だと感謝を述べられ、手に持っていたりんごを御礼にと受け取った。気弱そうな客が一晩でスマートな振る舞いをするのをみて美容師冥利に尽きる喜びを噛み締め、お店を閉めた後ボランティア活動で知り合った友人と食事に行くのである。

 

あなたは友人からりんごを受け取った。

しかしそこにあるのはただのりんごでしかない。

少年が愛を伝えたりんごでもなく

少女が分かち合おうとしたりんごでもなく

不良が奪い去ったりんごでもなく

ただの友人から譲り受けたりんごでしかない。

 

たった一つのものに不確かな情報が詰め込まれているのだが

観測された真実は自分が見たものでしかないのだ。

 

りんごを世界とするならば、あなたの見ている世界と、他人の見ている世界は重なり合いながらも同じではなく、不確かな形のまま一つの存在としてそこにある。

 

氷山の一角を色眼鏡をかけてみれば、シュレーディンガーの猫の鳴き声が聞こえてくるかもしれない。

不確かであるからこそ、真実というものを選択し受け入れていけるのかもしれない。

 

 

後日、ボランティア活動をする友人はホームレスにりんごを配っていると、近所の家でシングルマザーと思しき女性が子供たちに彼氏を紹介する場面を見る。りんごを大量にプレゼントに持ってきた明るい男性は農園業だろうか、男の子と女の子に笑顔で迎えられ幸せそうな家庭になるのだろうがこの話は本編に関係ないので割愛させていただく。